我が家には2匹の猫が暮らしています。
1匹は、保護猫が妊娠していた際に産まれ、生後間もなく引き取った14歳の女の子。猫が1歳の時から一緒に暮らしています。
もう1匹は、飼い主の方が余命宣告を受け、貰い手を探していたスコティッシュフォールドの15歳の女の子。猫が13歳の時から共に暮らし始めました。
2匹ともいわゆる”老猫”と呼ばれる年齢ですが、毛艶も良く、食欲も旺盛で、健やかに過ごしています。
旅立ちの足音
室内で暮らす猫の平均寿命は12歳から18歳ほどといわれています。 スコティッシュフォールドの平均寿命はそれよりも短く、11歳から13歳ほど。
変わらない日常の中で、「もしかしたら明日、何かが変わってしまうかもしれない」と思うことが少なくありません。
そんなある日、知人の13歳の猫が癌で旅立ちました。
大きくてフワフワの毛並み、青い目が美しいノルウェージャンフォレストキャットの女の子。
体調が悪化してからはあっという間で、いつも様子を聞いていたこともあり、自分のことのように悲しくなりました。
同時に、いつか訪れる旅立ちの日が少しずつ近づいていることを、現実として意識する出来事でもありました。
老猫との暮らし
今は2匹とも健康ですが、小さな変化を感じることは増えてきました。
転んでしまうことが増えたり、うとうとする時間が長くなったり。
トイレで失敗することが増え、おもちゃにも以前ほど興味を示さなくなりました。
いつの間にか、ギラギラしていた瞳は、穏やかで凛とした、大人びた眼差しへと変わっていました。
生活の中では、トイレの手入れが少しずつ変化し、ご飯の好みも難しくなり、疲れてしまう日もあります。
それでも、そばに座ると寄り添ってくれたり、トイレに立てば付き添ってくれたり。
撫でればグルグルと喉を鳴らし、ニャーンとお喋りしてくれる。
爪を切ると少し怒って拗ねる。
そんな変わらない仕草に、ほっと安心するのです。
曾祖母とウサギの記憶
小学生の頃、実家で1羽のウサギを飼っていました。
飼育小屋で増えすぎてしまったウサギを引き取り、図鑑を読みながら食べられる野草を探してきては与え、庭を散歩させた記憶が鮮明に残っています。
事情があり、私は実家を離れることになり、ウサギは曾祖母が育ててくれることになりました。
数年後、ウサギが亡くなったと聞きました。
動物が嫌いだと自称していた曾祖母が、えんえんと泣いていたと。
私はもちろん悲しかったけれど、曾祖母が感じていた喪失感とはどこか違うものだったように思います。
時間が経った今、その感情がなんだか少し分かるような気がしています。
毎日顔を合わせ、お気に入りの場所でくつろぎ、ご飯を食べる姿。
「また明日」と当たり前のように繰り返していた日常が、もし突然途切れたら。
シンと静まり返る部屋を想像するだけで、胸が締めつけられるのです。
いつか来るその日のために
我が家の猫たちも、立派な老猫です。
いつ、その日が来るのかは分かりません。
寝ている間に冷たくなっていたらどうしよう。 そんなことを思いながら、もう一度撫でてから眠る毎日です。
人との関わりも同じように、最期の会話や触れ合いが、後悔にならないように。
まだ想像しかできないその日を、少しでも受け入れられるように。
簡単なようで難しい、「日常を大切にする」ということを、彼女たちから教わりました。
きっとその日が来たら、今の心持ちではいられないかもしれません。
それでも、毎日挨拶をして 「このご飯にも飽きたのね、次は何がいいかしら?」と小言を漏らしながら、 当たり前のように過ごしていく。
いつか訪れるその日、明日かもしれないその日を
「色々あったね、楽しかったね」 「こんなに長く一緒にいてくれて、ありがとう」
と、受け入れるための
かわいい可愛い老猫2匹と暮らす 私なりの、ささやかな向き合い方なのです。