ペットロスの内側に見える愛と優しさ

公私共にお世話になっている先輩のワンちゃんが、今朝17歳で亡くなりました。

ワンちゃんとの2人暮らしが長かっただけに、先輩の様子が気になり、仕事前に会いに行くことにしました。

先輩は、私に気を遣ってか、いつも通り振る舞ってくれているようでしたが、やはりどこか空虚感を抱えているように思えました。

寂しくてどうしようもない。

つらくて何かにすがりたい。

どう考えれば立ち直れるのか。

私がラブちゃんを亡くした後、本当にペットロスが激しかったので、こんな気持ちは痛いほどわかる。

悲しみは愛情の深さ

私は、人付き合いがあまり得意な方ではありません。

犬や猫と過ごしている時間の方が、自然な自分でいられる気がします。

だからか、ペットを大切にしている人にとても親しみを感じる。

自分より先にペットが逝ってしまうのは自然なことだけど、それでもどうしたって悲しい。

それは、悲しみの大きさに比例して、深い愛情があったからだと思います。

そして、その深い愛情を捧げられる人の人生は、その後も幸せなものであってほしい。

愛情に包まれて生きてきたペットたちも、それを望んでいるはず。

在り続ける

先輩が「ワンちゃんがまだ温かった昨日に戻りたい」って言ってた。

魂が抜けて冷たくなってしまったワンちゃんを前にして、その子は老いて生きづらくなった殻を捨てて、自由になったんだなと思った。

昨日に戻れなくても、灰になってしまっても、この子の魂は、ずっとずっと在り続ける。

そんなことを考えながら、こんな時に何もしてあげられない自分に無力さを感じるばかりでした。

そして、帰りに先輩から、ワンちゃんの指輪をつくってほしいと言われ、この悲しみの中でも優しさを投げかけてくれる先輩に、愛と力強さを感じました。

大丈夫だなと思えた。

私はペットロスと向き合うことで、逆に人から勇気をもらってるんだ、と気付かされた時間でした。

勇気をもらって

遺灰指輪は、ずっと在り続けるペットの存在を形として残すことができます。

私にとって指輪をつくることは、その人の抱える悲しみと深い愛情に触れ、その人の想いに寄り添うことです。

好きな人や、好きなものを通して、誰かの役に立てることは、なんだか素直に嬉しい。